「三権分立」は国策誤訳で、正しくは「三権分割」 |
「the separation of powers 」を「三権分立」と訳すと、
三権がただ単に、相互に不干渉し、独立さえしていれば
よいことになります。
一方、「三権分割」と訳すと、次の所が明確になります:
元々一権だった権力構造(全体主義)を無理やり三権に
分けることで、権力の分散を図っています。
従って、放置すれば、三権が再び一権にくっ付いてしま
います。
国権を三権に分けて権力の集中(民主主義が全体主義に
変容する)を防ぐ為に、
三権それぞれを独立させ、相互に牽制させるシステムを
構築する事で、
安全保護装置(三権分割装置)が働き、民主主義が機能
する事が出来ます。
この三権分割装置が「米国でどの様にして、機能している
かを」考える際に参考になる質問:
なぜ米国大統領は「拒否権」を持っているのでしょうか?
答えは、「checks and balances」です。
行政・立法・司法の三権をそれぞれ独立させ、且つどれか
一権に権限が集中するのを阻止する為に、
三権のそれぞれが相互に牽制させます、でないと、一権に
権限が集中すると、
国家は主権者国民の平和・自由・人権・地方自治などを
奪い、
主権者国民を明治憲法下の主権者天皇の「臣民」の位置
に貶める可能性が高まります。
この辺の所が理解できると、「三権分割」は国策誤訳
(文部省が恣意的に行った誤訳)で、
正しくは、「三権分割」となることは理解できると
思います。
で、米国では、「三権分割」を機能させる為に、先ず
司法の最高位にある「連邦最高裁」の違憲審査権行使
(司法が立法を牽制)案件数はたった年間80件
(日本は、ほぼゼロ)にすぎません。
従って、法案可決成立権を持つ議会(立法)が圧倒的
権限を持ってしまうことになってしまうので、
行政の長である大統領に拒否権を与えています。
こうすることで、議会が可決成立させた法律の成立
を完成させる署名を大統領が拒否できます(こんな
法律が成立すれば、国民の利益にならないという
理由で、行政が立法を牽制)。
その大統領の拒否権発動を議会が覆すには、両院
(上院・下院)で2/3の賛同(主権者国民の大多数
が賛同と理解することができる)が必要となります。
また、「checks and balances」は三権分割装置だけ
でなく、
一院制ではなく二院制を採用する事で、更にハードル
が高くなり、法律が成立するのに時間がかかります。
こうする事で、より多くの目が行き届く事になり、
国民の生活に多大な影響を与える法律が熟慮の末で
成立することができます。
要するに、三権(司法・国会・行政)がお互いに
牽制し合い、どれか一権に権力が集中しない様に
することで、
主権者国民の利益を守るシステム(民主主義)
として、三権相互の「checks and balances」が
存在する訳です。
翻って、日本の最高裁は81条の違憲審査権行使
権限を放棄して、自らの重要な役割を全く理解
できていません。
この様な状況なので、現行憲法41条に基づいて、
国会が絶大な権限を持っていて当然となりますが、
と言うのは、司法は立法を牽制する気が全くないし、
行政が立法を牽制する(法案成立阻止)術がない
どころか、
憲法73条により、行政官が気に入らなくても、
法律を誠実に施行することが義務付けられて
いるからです。
所が、実際は、単なる行政官達が内閣と国会を
乗っ取って
(行政官達の助けがないと、実質的に内閣と国会が
機能しないシステムが構築されてしまっている。)
しまっています。
最高裁が行政官の元締めである最高裁事務総局
の支配下に成り下がっている事と相まって、
主権者国民の利益を守るはずの「三権分割」が
「三権分立」させられ、
その三権全てを行政官が牛耳ってしまっている
という主権者国民にとっては、非常事態が出来
上がってしまっている状態が何十年も続いて
いるのに、
肝心要の主権者国民は、電通マスゴミNHKや
行政官指導要領を教えることを強制されている
学校に洗脳されてしまって、全然覚醒しません。
国民は、もう一度、憲法前文及び第1条に明記
された「主権は国民に在る」を再認識し、
仮に既存の制度や法令が「主権者は国民に在る」
視点で再度考えてみて、何か可笑しいなと感じれば、
その制度や法令は憲法違反の可能性が高いと
判断できます。
本来なら、憲法81条に従って、最高裁が違憲審査権
を行使し、違憲性を明確にすべき義務が在るのですが、
最高裁が、行政官組織に過ぎない最高裁事務総局
の支配下にある状態では、
最高裁は、梃子でも動きません。
最高裁に違憲審査権を行使せざるを得ない法案を
早期に成立させる必要があります。
最高裁によるjudicial review(違憲審査)を拒否
する理由:その法律による不利益を被った事例が
存在しない限り、最高裁は違憲審査しない。
とか、統治行為論:国家統治に関する高度な政治的
判断が必要な違憲審査は、司法が判断するのは不適切
なので、判断しない(回避する)。
という何ら根拠の無い、日本でしか通用しない
言い訳を盾に、最高裁はjudicial review(違憲審査)
を拒否し続けます。
米国では、野党が最高裁に違憲審査を依頼でき、
その数は、年間800件ほどになります。
最高裁がその内80件ほどを選択し、違憲審査を
行いますが、「違憲」と判断された法律は、議会に
差し戻されます。
その結果、これまで、米国では、900本ほどの
法律が違憲と判断され、ドイツでは、600本以上
の法律が違憲と判断されていますが、
日本は、たったの8本の法律が違憲と判断された
だけです。
欧米では、違憲審査を経ない法律は一人前の法律
と見なされませんが、
日本だけは、違憲審査が無きに等しいので、国会
で可決成立した法律が自動的に一人前の法律と
見なされてしまう事になってしまいます。
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