「憲法が政府の構造を規定」→「国家権力を連邦政府と地方自治政府とに分割+連邦政府を三権(内閣と国会と裁判所)に分割」 |
英文憲法を改ざん→その改竄された和文憲法を主権者皆様に押し付け
ている最高権力者である「政令官僚様」が、
安倍首相に「国の理想を語るのが憲法」と公言させ、
野党には「憲法は権力者を縛るモノ」と公言させています。
米国の常識は「憲法が政府の構造を規定」→「国家権力を連邦政府と
地方自治政府とに分割+連邦政府を三権(内閣と国会と裁判所)に
分割」です。
日本の大学の教科書では、「国家という巨大な権力から弱い国民を
守るモノが憲法」と教育されてしまっています←これだと、国家は
中央集権体制の巨大な権力なので、その弱い国民を守るのが憲法と
錯覚させてしまいます←これだと、皆様が主権者となり得ません。
国家権力が巨大だから、その巨大権力を連邦政府と地方自治政府と
に分割し、
更に、連邦政府と地方自治政府のそれぞれを三権(内閣と議会と
裁判所)に分割し、
止めは、その三権のチェック力を同等にする。
その目的は:同等とする事で、三権が互いにチェックし合えること
が可能となり、どの一権にも権力を集中させる(何もかもその権力
が処理してしまう)ことが不可能となるので、
連邦政府も地方自治政府も権力を集中して暴走する事が不可能となり
ます→結果、主権者皆様が枕を高くして寝られる様になります。
で、先ず、現在の日本国政府は、連邦政府と地方自治政府に分割され
ていません←最高法規条項(英文憲法98条)が存在するにも関わらず。
加えて、三権(内閣と議会と裁判所)のチェック力が同等ではなく、
内閣のチェック力が肥大化しすぎています。
特に、内閣の行為と国会の行為をチェックする義務がある裁判所が、
その裁判所だけに与えられた違憲審査権を行使する気が全く無い
事実には、呆れ果てます。
因みに、欧州の民主主義は、独立した裁判所が違憲審査権を頻繁に
行使することで、
要するに、内閣の行為と議会の行為を頻繁にチェックする方法で、
内閣の暴走を阻止しています。
ですから、あり得ない事ですが、米国で日本の様な違憲審査権を行使
しない最高裁が存在すれば、間違いなく市民が最高裁に100万人規模
のデモをかけます。
で、最悪な事実は、首相と大臣が発行する内閣令に従って、官僚は
行政を行う義務がありますが、
その内閣令を官僚が奪い、官僚達がその内閣令を政令・省令・府令・
通達などの命令群を制度化してしまっているので、
首相と大臣は、自ら望む行政を官僚に命令する術が無い事実です。
それどころか、首相と大臣が勝手な振る舞いを禁止する制度であり、
政令官僚様の独裁体制を担保できる制度が「閣議決定制度」が存在
します。
要するに、民主主義を放棄し独裁主義を担保できる、英文憲法1条
の「主権者は皆様」に反する、「主権者は、政令官僚様」となって
しまっています。
こんな馬鹿な制度を採用すれば、民主主義を放棄することになります
ので、
こんな愚かな制度を採用している国は、世界広と言えども日本だけ
となるのは、当然です。
加えて、何の為に選挙をして首相候補者を選び、各大臣候補者を選ん
でいる意味がなくなります。
大臣一人一人の個性や見解が異なるから、妥協が生まれる訳です。
米国では、民主主義を実現するには、妥協を積み重ねる過程が必須
との認識が広く米国民に共有されています。
要するに、妥協をする事で、結果的に、少数意見を取り込むことが
可能となります。
言い換えると、妥協を重ねれば、少数意見を取り込まざるを得なく
なるということです。
Alternatives
P.S. 簡潔に言えば、
安倍首相→「国の理想を語るのが憲法」
野党→「憲法は権力者を縛るモノ」
大学の教科書→「国家という巨大な権力から弱い国民を守るモノが
憲法」
米国→「憲法が政府の構造を規定」→国家権力を連邦政府と地方自治
政府とに分割+連邦政府を三権(内閣と国会と裁判所)に分割。